お知らせ

同窓会40周年 座談会

同窓会40周年 座談会

道を修める ー自分らしく生きるー  (H16.10.31 中国新聞掲載)
各界へ多彩な人材を輩出している修道大学同窓会が創設40周年を迎えました。11月6日には全国から卒業生たちが集まり広島市内で記念同窓大会が開かれます。スポーツや教育などの分野で活躍する卒業生5人が校名の由来の「道を修める」をテーマに大学生活や自身の生きてきた軌跡、後輩たちへのメッセージを語り合いました。

同窓会40周年 座談会

個性を伸ばすために勇気を持ち決断を
市原 則之
日本オリンピック委員会〈JOC〉常務理事
いちはら・のりゆき 1941年生まれ。65年商学部卒。大崎電気工業、瀬戸内高教諭を経て69年湧永製薬へ入社。92年取締役。現在顧問。84年ロスアンゼルス五輪男子ハンドボール監督。JOC常務理事・JOCゴールドプラン委員長、日本ハンドボール協会副会長。東広島市出身。

世界のレベル知り挑戦しよう
田口 信教
鹿屋体育大学教授
たぐち・のぶたか 1951年生まれ。74年商学部卒、77年商学研究科修士課程修了。68年にメキシコ五輪出場、72年ミュンヘン五輪競泳男子100m平泳ぎで金メダル、76年モントリオール五輪出場。87年国際水泳殿堂入り。93年から鹿屋体育大学教授。愛媛県東伊予市出身。

心を鍛え、人間力を高める努力を
上野 淳次
広島修道大学同窓会会長/学校法人上野学園理事長
うえの・じゅんじ 1944年生まれ。66年商学部卒、同年、広島会計学院を開設。現在、同学院ほか、広島電子専門学校、広島ビジネス年門学校、広島外語専門学校、広島コンピュータ専門学校、広島情報ビジネス年門学校、広島美容専門学校を運営。広島市出身。

失敗や挫折こし、成長の糧になる
川本 幸生
広島商業高等学校 野球部元監督
かわもと・ゆきお 1957年生まれ。79年商学部卒。広島商で73年夏、甲子園大会に出場し優勝。リッカーに入社し3年間プレー。86年から4年間、広島商の監督を務め、88年夏の甲子園大会で優勝。現在は株式会社田頭タイル取締役副社長。右投げ左打ち。内野手。広島市出身。

パイオニア精神学んだ大学時代
脇田 義信
広島テレビ放送取締役報道局長
わきた・のぶよし 1945年生まれ。68年商学部卒。大学では軽音楽部、演劇部に所属。同年、広島テレビ放送入社、営業局営業部に配属。69年、編成局アナウンス部。90年、制作部長。99年、編成制作局長。2003年報道局長。2004年取締役。広島市出身。

道を極める、自分を生かす
   
脇田  この夏、アテネ五輪での日本勢の活躍は、国民を大いに感動させ、勇気づけてくれました。37個ものメダルを獲得できた背景には、私たちの先輩であり、JOC常務理事を務める市原さんたちのご尽力があります。これまで、どのような取り組みをされてきましたか。
   
市原  スポーツの素晴らしさを人々の健康づくりに生かそうと、旧文部省が策定した「スポーツ振興基本計画」を受けて、JOCではメダル倍増を目標にした「ゴールドプラン」を練り上げました。これは、世界で活躍できる競技者を育成し、国民に夢や感動を与えることで、スポーツへの参加意欲を喚起することをねらいにしたものです。このプランに沿って、私たちはソフトとハードの両面から環境整備に取り組んできました。
   
上野  思えば、修道大学同窓会が発足した40年前は東京五輪が開催された年でした。当時の日本選手の健闘に、新たな成長へ向かうエネルギーを感じたものですが、アテネでの感動にもちょっと似た思いを抱きました。
   
市原  成果を一過性のものにせず、夏冬あわせて40数個のメダルを恒常的に取れる実力育成が課題です。そのために奨励しているのが、「スポーツの異業種交流」なんです。例えばサッカーやバスケット、ラグビーが連携するなど、競技の枠を超えて取り組むことで、より高次元の競い合いが可能になる。学閥・派閥という枠を超え、いろんな人が集まり、いろんなノウハウを磨くことが求められているんですね。
   
脇田  田口さんは五輪に3度も出場し、世界の頂点に立ちましたが、アテネでは指導者として、水泳部所属の柴田亜衣選手を金メダルに導かれました。
   
田口  柴田選手本人の努力と根性のたまものです。だだ、彼女の気持ちをいつも前向きにすることには注意しました。金メダルは、自分が取れると思わなければ、決して取れません。当初は「五輪に行けるはずがない」と思っていた彼女の消極的な気持ちを「金メダルを絶対に取ります」という決意に変えられたのが良かった。監督ともども彼女には、「焦るな」「慌てるな」「諦めるな」「あてにするな」「悔るな」と言い続けました。
   
川本  個人競技と団体競技の違いはありますが、高校野球の指導でも、技術以上に気持ちをどう鍛えるかが大事でしたね。「甲子園に行きたい」「日本一になってみせる」という心の土壌が育つと、選手たちはそのためにどんなプレーが必要なのかを自発的に考え出し、自ら練習を充実させていく。予選が開始する時期までに、監督の仕事がなくなる状態にまで持っていけると日本一になれる。事実、私が監督を務め、88年夏の甲子園大会で優勝した広島商業高校野球部はそんな状態だったんです。
   
上野  技術のマイナスは気力でカバーできるが、気力は技術で補えない。アテネでの日本の野球チームが実力を生かし切れなかった理由は、そこにあるのかもしれませんね。
   
市原  プロとアマが活発に交流し、海外遠征にどんどん挑んでいく。どんなスポーツであれ、そんな気概と行動が求められるでしょうね。
   
出会いが人生を動かす
   
脇田  修道大学の校名の由来である「道を修める」とは、自分らしく生きること。皆さんはまさにそんな人生を歩いてこられましたが、振り返ってみて、これまでどんな出会いがありましたか。
   
市原  ハンドボールとの出会いは高校2年の夏。やんちゃが高じて停学になりそうな時に、たまたま生活補導の先生が部の顧問で、「ハンドボールをするなら許してやる」と言われまして(笑)。実際に入部すると、生来の負けず嫌いに加え、たくさんのいい仲間に恵まれたことが幸いして、夢中になれました。実は日本大への推薦入学が決まっていましたが、商科大学(修道大学の前身)が開学すると聞いて翻意しました。1期生として学校の歴史を開拓できる。新しいことにチャレンジするのが好きな性分なんですね。
   
田口  私の場合、思い出深いのは高校時代の水泳部の監督に「世界記録と自分の記録の差を調べなさい」と言われたことです。調べると、私のタイムは当時の世界記録より3%遅いと分かりました。あと少し、手を速く掻けば勝てる。世界一という目標をリアルにとらえることができ、それが修道大学時代のミュンヘン五輪での世界新につながったのだと思います。ですが、私が30年前の当時に出した記録は、今では中学生が出す記録です。現在の北島康介選手の記録にも同じことが言えるかもしれません。その意味で、水泳はまだまだ記録が伸びていく大きな可能性があります。
   
川本  私は73年、高校2年の春に甲子園で準優勝、夏に優勝を体験しました。怪物と言われた作新学院の江川卓投手を攻略するために、前年の秋から冬にかけて、通常のバッティング練習をまったくせず、バントや走塁の練習を徹底的に繰り返したんです。野球には「戦術」あることを学び、それが監督になって役立ちました。
   
上野  川本君と同じ広島商業高校野球部出身の私は、商科大学でも硬式野球部に入部しましたが、そこで大きな転機を迎えました。というのも、父が不慮の事故で亡くなり、中退を考えた時に、監督が引き止めてくれたんです。私一人だけ練習を早く切り上げ、特待生を目指して勉強したり、働くことを許していただきました。アルバイト先に、簿記の知識を生かして経理学校の講師を選んだことが、経理学校経営の道を歩むきっかけになりました。商科大学に行かなければ、きっと現在の自分はなかったでしょうね。
   
脇田  5期生の私は、前向きな市原さんたちの影響をダイレクトに受けた世代です。いまの仕事につながったのは、ラテン系の軽音楽部から頼まれてコンテストの司会を務めた体験ですね。「2500人の商科大生は全員がパイオニア精神で頑張っている」。伝統校ひしめく全国大会でそうコメントすると、後で審査委員長から「このバンドは日本一学生らしいバンドだ」との評価をいただき、本当に清新の気風と気概のあふれていました。今でも仕事に悩むと、大学時代を思い出し、励みにしています。
   
指導者に求められるもの
   
脇田  個性や能力を伸ばすには、いい指導者が必要です。指導者に求められる資質とは、何だとお考えですか。
   
市原  いまの世の中、「知識」はコンピュータが教えてくれるし、データをもとに何かを「判断」することも容易にできます。しかし物事を「決断」できるかどうかが、指導者には大切です。人生は、辛いことや悲しいことを避けては通れない。情報が氾濫するなかで、勇気を持って決断し、導いていく力がなくては。そのためには広い視野も必要でしょう。
   
田口  私の恩師は、水泳を教えるだけではなく、壮行会や勉強会など、いろんな場所へ私を連れていき、いろんな人と会わせてくれました。選手としてだけでなく、人間としても育てていただいたことに大変感謝しています。
   
川本  かつての自分ができなかったことを指導する。監督時代には、そんなことも多くありましたね。例えば、日々の猛練習を支えてくれるご両親への感謝を伝えること。こうしたことのできる若者なら、どこへ行っても恥ずかしくない人物に育つはずだと考えていたんです。
   
上野  指導者であれ、経営者であれ、心を鍛えて人間力を高める努力が必要ですね。そして行動すること。王陽明の「知行合一」という言葉にあるように、知識は行動を伴うことで、初めて意味を持つと思っています。
   
脇田  では、スポーツは教育にどんな役割を果たすとお考えですか。
   
田口  スポーツは、上手か下手かがはっきりと現れるもの。失敗して恥をかき、悔しい思いをしながらも、それを克服していく。そこが醍醐味です。また、人の身体に触れられることも他の教科にない大きな特長です。身体の温かさや汗ばんだにおいに接して、人間を肌で学ぶ。いま学校や子どもたちをめぐる様々な問題を考えると、教育にスポーツをもっと積極的に取り入れるべきではないでしょうか。
   
市原  アンフェアなことがまかり通る世の中だからこそ、スポーツが教えるルールやフェアな精神が絶対に大切です。
   
田口  世界の頂点を具体的に知ることも、スポーツに興味を持つきっかけになるかもしれませんね。例えば腕立て伏せの世界記録は46000回なんです。人間って、親からもらった身体の使い方ひとつで、ものすごい力をつけられるし、逆に弱くてもろい力しか持てない場合もある。そんなことにも気づかされます。
   
市原  人間の体力は鍛えるほど、強くなる。教育はもちろん、健康や福祉との連携もますます進めていきたいですね。日本の医療費のおよそ半分が老人医療費で、寝たきりのお年寄りが増えていることを考え伏せても、スポーツの役割は大きく広がっています。
   
母校へ若者へ贈る言葉
   
脇田  私たちの母校にどんな思いを抱き、何を望みなすか。
   
市原  私たちの頃、この広島でさえ、商科大学は無名で、それが発奮材料になったんです。皆を振り向かせてやろうと、クラブ活動に一生懸命取り組むことが、成果を上げるエネルギーになりました。どこにでもあるような学校じゃつまらない。これからの修道大学は、全国から注目されるような特色がたくさんある個性的な学びの場であってほしいですね。
   
上野  モデルなき創造。当時はまさにそんな時代でしたね。私の所属した野球部などは、設備もグラウンドも整っていなかったけど、気力だけはあり余っていました。ひとりひとりの選手は大したことなくても、中四国でトップに立てた理由はハングリー精神にあります。いまの野球部にはいい選手が集まっているんだから、あとはそれを生かす環境をどうつくるかです。
   
川本  学生や選手を育てるだけではなく、指導者を育てる環境も大事ですね。いまの高校野球では、指導者が短期間で変わってしまうケースもけっこう多い。指導者がいい経験とノウハウを積むことで、教わる側にも能力を伸ばしていける下地ができるのではないでしょうか。
   
市原  それはクラブ活動に限らず、大学教育そのものにも言えそうですね。全国や海外各地で活躍している人材を消極的に招聘して活性化につなげるのもひとつの方法です。
   
上野  教育界は、あと2、3年ちょっとで大学の進学希望者と入学定員が逆転してしまうという大きな問題に直面しています。すでに広島の半数近くの大学で定員割れしています。そこで同窓会としても母校の魅力アップや差別化のために、サークル活動の支援など可能な限りバックアップしていきたい。
   
田口  国からの交付金が毎年カットされる国立大学も必死になっています。大学も収入は自ら確保しなくてはならない時代なんですね。
   
市原  スポンサーを付けてマーケティングを行っている大学もあるほどです。欧米のように、入学しやすくして、卒業しにくくすることも効果的かもしれませんね。
   
脇田  最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。
   
川本  失敗や挫折を若いうちに経験しておくのもいい。そこから新しい可能性が生まれることもあるので、希望だけは失わないでほしいものです。
   
田口  社会で求められる実力は、斬新な発想力、問題解決力、先を読む力。これらの力を身につけるには、人が行かないところへ行き、人が見ないものを見て、人がしないことをしてみよう。「人生を上手に賢くたくましく泳げ」と言いたいですね。
   
市原  ひとつは、当たり前のことを当たり前にし続けること。もうひとつは、心の置きどころを大事にすること。いつも物事をいい方向に据えるプラス思考で臨んでください。
   
上野  いつまでも挑戦する気持ちを忘れないように願ってやみません。「オンリー1より、ナンバー1を目指して、自分と戦え」とあえて言わせてもらいます。
   
脇田  放送業界で長年過ごしてきた私が大切にし、心にとめているのは、「いまから・これから」という言葉です。いつも高らかな気持ちで、新しいことに臨む。若い人にも、ぜひそうあってほしいと思っています。本日はありがとうございました。